『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』感想

「インターネットで他人の気の利いた感想を読んで『ほんとそれ~』で済ませる前に、真面目に自分の感想と向き合って留めておこう」と最近思い始めたので、感想を書きます。以下ネタバレです。

スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム(Spider-Man: No Way Home)

簡潔に言うと、とても面白かったし、まさにこの映画でしかできない話だ!と思った。同時に、「この戦いはいったいいつまで続くんだ?」と二重の意味で思った。

映画の感想の前に、まず自分のスペック?を書いておくと(MCU映画はもはや観客側の説明なしには感想が書けないと思う)、MCUは大ファンというわけではないけど、『エンドゲーム』まではまあまあちゃんと追っていて、『ファー・フロム・ホーム』は劇場で観たけど、フェーズ4の映画は一つも観ていない。これは「エンドゲームがショックでファン降りました!」というのではなく、そこまで真面目なファンでもなかったので、人気の初期メンバーが抜けたアイドルグループみたいでその後を追うほどの情熱がなかった……という感じ。ドラマシリーズはほぼ未見。

今回は予告編を観ていなかったけど、ツイッターでなんか見かけてマルチバースものなんだな~ということを知った。というか、キービジュアルにドクター・オクトパスのアームががっつり映ってるので、むしろ「今までのヴィランがこの世界に大集合!」というのは売りにしてたっぽい。予告やビジュアルでは伏せられていたけど、途中からサム・ライミ監督『スパイダーマン』のピーター(演:トビー・マグワイア)や、マーク・ウェブ監督『アメイジングスパイダーマン』のピーター(演:アンドリュー・ガーフィールド)が味方として合流する。自分はサム・ライミ版1・2は観たけど、『アメイジングスパイダーマン』は観たような観てないような……。「ベンおじさんが『大いなる力には大いなる責任が……』と言い残すくだり、そのままもう一回やる!?」と思った記憶があるんだけど、ヴィランにまったく見覚えがなかったからインターネットで見かけた感想の流用かもしれない。

よかったところ。ミラー・ディメンションでのバトル。『ドクター・ストレンジ』でも感動したけど、この世界の建造物があり得ない景色を創り出すのが気持ち悪くて気持ちいい。劇場で映像を堪能できて嬉しかった。

あとはやっぱり、各世界のスパイダーマン a.k.a ピーター・パーカーの交流。「君はとても”アメージング”だよ」みたいな小ネタとか、ウェブシューターなしで糸を出すトビーピーターにやや引くとか、設定の違いをうまいこと消化してるのもいいな~と思った。過去作のピーターたちはMCUピーターを導いて手助けするメンターの立ち位置だけど、この出演は労いのようにも感じた。兄弟がほしかったと言って笑ったり、過去のつらい思い出を共有したり……。特に、アンドリューピーターがMJを助けるくだり。続編が白紙になった作品をこうやって成仏させること、なかなかないと思う。サービス精神あふれるクロスオーバーとして盛り上がるだけでなく、もう描かれることはない物語への弔いを感じて心を揺さぶられた。アンドリューピーターがトビーピーターのストレッチを手伝うシーン、スパイダー・ボーイズ・ラブが始まるんじゃないかと思ってそわそわした。
しかし、できたらいいけどたぶん無理だよね~とみんなが思うことをやってのけるMCU、本当に……資金があるんだな……。このアイデアが成り立つのは過去作の知名度に拠るところも大きいので、度重なるリブートを逆手に取った贅沢なやり口は「スパイダーマン」でしかできないな~と感心した。

あんまりよくなかったところ。最後のグリーン・ゴブリンとの戦い。トビーピーターに止められて、殺すのを思いとどまるのが……腑に落ちたような……落ちてないような……落ちてないな。落ちてない。グリーン・ゴブリンが「治療」でいきなり正気に戻って、グリーン・ゴブリンの思想 vs メイおばさんの遺志という戦いに答えが出されなかったように感じる。そもそも「殺さずに治療する」ことがメイおばさんの遺志だからいいのか?
あとは本作の目玉になるヴィラン大集合だけど、たくさんいるから一人一人の影はやや薄く見えた。詳しい活躍は過去作を観てねってことか。でもコンドミニアムでの互助会(?)はもっと見たかったし、ヴィランと過去作ピーターが和解するのは感動的だったな。この「別の世界では殺さざるを得なかったけど和解した」のも弔い映画だと感じる所以かも。
そしてドクター・ストレンジ、キャラとしては好きだけど、何ができて何ができないのか未だによく分からん。便利だな~とも、緊張感に欠けるな~とも思う。

ラストについて。切ないな~。『バタフライ・エフェクト』を思い出した。ここで身を引くの、ピーターの圧倒的成長を感じるけどあまりに孤独なので何とかならないだろうか。ネッドやMJとのやりとりはかわいいし、2人やドクター・ストレンジの助けなしにトニーやメイおばさんの遺志を継ぐのは荷が重すぎるよ。だからこそその決断が胸を打つんだけど。MCUスパイダーマン、「こうして少年は少し大人になったのだ……」って毎回感じてる気がするな。

しかし『スパイダーマン:スパイダーバース』でも思ったけど、スパイダーマンであるということは「大いなる力には大いなる責任が伴う」ことであり、どんな世界でもベンおじさんを、メイおばさんを、アーロンおじさんを喪うことなわけだ。業だなあ。そのつらさを分かち合うのも『スパイダーバース』よろしくスパイダー仲間しかいなんだろうか? MCUピーターはまだまだ子供って印象の上、かなり意識的に学校行事や進学を絡めてくるから、どうしても痛ましいな~と感じてしまう部分がある。

そして冒頭に書いた「この戦いはいつまで続くんだ?」というのは、犯罪やヴィランと戦い続けなければならないスーパーヒーローものという物語はもちろん、自分はこの無限に拡大し続けるMCUに、いったいいつまでついていけるんだ? 『エンドゲーム』で一区切りついたのは確かだけど、アベンジャーズがなくなり実質メインメンバーを失った後もなお続くマーベル・シネマティック・ユニバースという世界、マジでいつまで続くんだろう。ソニーの『ヴェノム』世界線をSSUとか言うのも初めて知ったよ。
MCUの映画、いろんな端々が「ファンへの気の利いた目配せ」なのか「壮大な内輪ウケ」なのか自分にはもう分からなくなってて、でもここまで売れて「内輪」が全世界的になっているなら内輪ウケでいいのかもしれない。ディズニーのアコギな映画配信をあまり快く思っていない部分もあり、一定の面白さを担保してくれるクオリティの高さ、面白さだけでなく意義のあるメッセージを発信する(作品もある)ことへの信頼感 vs この延々と続く戦いはヒーローの宿命ではなく「MCUという商業による商魂」以外の何物でもないんじゃないか? みたいな気持ちが自分の中で渦巻いていた。

そんなことを考えていたので、エンドロール後、エピローグとかおまけ映像かと思ったら、ガッツリ次作の宣伝だったのには正直参った。少しは余韻に浸らせてくれ。もう「本当の『ヴィラン』は……お前らだーーッ!!」とソニーだかディズニーだかを破壊するしかないのかもしれない。