自分のモンスター性に向き合う 『THE BOYS』 S3まで

※これは書きかけの感想を2週間放置して、温めすぎて腐ってきた記事を穢土転生で復活させたものです。

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すごく前にシーズン1の途中まで観て放置してた『THE BOYS』、S3まで観た。ゴア描写がかなり苦手なので、そこに関してはもう……一生分観たわ!!みたいな気分になったけど、面白かった。割と好きです。以下感想。

ストーリーについて。最初は割と「ヒーローがこんなにクズだったら面白いでしょ?」みたいな露悪ベースの話なのかな〜と思ってたら結構違った。思ったほど痛快!という感じでもなく、話が進むほど「Aを倒すためのBを探すためにCから情報を得るためにD作戦する」のような具合になって、単純なカタルシスは失われていく。風刺の対象が広くて、「そういえばこのキャラは何のために出てきたんだろう」みたいなこともまあたまにある。それでもこの話には一貫している軸があって、それは『有害な男らしさとの戦い』だと思う。

『有害な男らしさ』の代表するキャラクターは2人いて、もちろんホームランダーとブッチャーである。ホームランダーは愛情を受けずに育ったソシオパスで、暴力や恐喝で他人を支配しようとする。恐怖や軽蔑の対象になることはあっても友愛は得られない。
ブッチャーは、暴力的な父親から「男らしさ」を叩き込まれ、典型的な「タフガイ」ムーブをする怒れる男だ。ヒーロー🆚ボーイズが正義🆚悪という単純な構図にならないのは、ブッチャーの持つ暴力性が大きいと思う。
環境や方向性は違えど、2人は『有害な男らしさ』で周りを壊していく側面があり、ある種の相似形を持っていて、その『男らしさ』では本人も周りも幸せになることはできない……というのが一貫していて、そこがいいです。

2人に限った話ではなく、例えばディープやAトレインも、何でそんなにセブンに戻りたいんだよ?(ホームランダーにパシられるだけなのに)と思うけど、つまりそれは地位や名声を重んじて、ホームランダーというサル山のボスに認められたいからだ。そこに幸せはないのに……😢

しかしホームランダー、本当にキモいな〜。得られない愛情を求める姿が哀れで、でもそれを得ようとするときに支配に訴えるので、もう終わりです。ディープは悲壮感も含めておかしみのあるキャラに仕上がってて嫌いになれない。Aトレインは、タレントというよりアスリート的な秀でた身体能力を一番求められていて、それをアフリカ系アメリカ人にするのはもちろん意図的だろうな。メイヴには頑張ってほしいという気持ちしかない。
ストームフロント、髪型が超イケてるので今すぐ真似したい。でもあんな終わり方か〜。製作陣が何を表現したいかは分かったけど、物語における立ち位置として意味があったかというと微妙です。

S3MMがかなりよかったな。娘に自分の「壊れた」部分を見せないようにしていたのに、あんな形で明らかになってしまうのがよかった。フレンチとキミコは、なんか……ブッチャーから離れたどこか遠くで平和に暮らしてほしい。この2人、やっぱり恋愛になるのか〜と思ったら「キスしたときに違和感があった。家族だから」という方向に落ち着いたの、すご〜くよかった。このドラマの大きな加点ポイントです。

そして一番好きなシーン!マインドストームが見せるブッチャーの悪夢。マインドストーム、完全にあれがやりたくて出てきたキャラだからね。戦地で戦う上で能力コスパが悪すぎる。
ここで初めてブッチャーの人間性に触れて、それまで「何だこいつ……」という目で見ていたのだが、彼のことがかなり好きになった。

「お前がモンスターになるのを止めてくれる唯一の人に何をした?同類のクズにした」
「彼が死んだら……そうなったら……誰も止めてくれない」
「そうだろ?」(銃声)

ブッチャー、自分が怒れるモンスターである自覚があったんだ……。そしてそれを止めたいと思ってたんだ……。彼は怒れる男だけど、ホームランダーとの違いは自分の加害性に自覚があることだと思う。そして何より自分自身の「モンスター」である部分への向き合い方が正反対だ。鏡の中のホームランダーは弱い自分(=愛されたいと思う心)をいらないものだから消せと言い、完全に無痛で無敵のモンスターになりたがる。ブッチャーの悪夢の中のレニーは「ずっとクズだった」と言う。モンスターになるのを止められる人間がいなくなると告げる。
自分の中のモンスター性に気づいていて、もはや自分1人ではどうにもならないもので、それを止めてくれるはずの人間すら失ってしまう。なぜならモンスターだから、と言う救いのない輪が完成していて、めっちゃいい〜と思った。

そしてヒューイとの関係も、ボーイズのボス面、ヒューイに対してメンター気取りのブッチャーが、弱くて平凡でそこそこ善良であるヒューイこそ、(レニーやベッカのように)自分を人間に繋ぎ止めてくれる相手だと思っている……というのが分かって、かなりよかったです。
まあ、その後ヒューイを置いていく方法が「殴って気絶させてコンビニのトイレに放置」なのがあまりにもブッチャーすぎる。そういうところだよ。

しかしまあ、「自己との対話」シーンが手を替え品を替えたくさん出てくるので、この手のやつが大好きオタクはめちゃくちゃ楽しいと思う。鏡、悪夢、薬による幻覚、テレビの中の他人、イマジナリーフレンズを伴う妄想など。う〜ん、いいですね……いいですね。

あとこのドラマ、曲がいい。不勉強だから読み取れてないけど、単なるヒットチャートじゃなくて物語的な意味も感じる。と思ってたらまんまズバリの記事を見つけたので、載せておく。

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オフィシャルプレイリストもある。

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地味にショックだったこと。ペイバックがニカラグアで活躍()するシーンで、ニカラグアで何が起こってるかマジで分からなかった。っていうか今でもちゃんと分かってない。勉強を怠って生きてきたので、フィクションを楽しむにも最低限の知識や教養は必要なんだよなと反省した。

最後に。商業主義をかなり風刺してるこの作品だけど、同時に「言うてこれ作ってるの、Amazonだろ?」という気持ちがあったので、『裏側』でキャストが「我々俳優も雇われて演技をしている以上、会社勤めや権力とは無関係ではない」「いえ〜い、Amazon観てる〜?」みたいなこと言ってたのがかなりよかった。